Amninni !! 宮脇 臣の声楽道

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『心、歌心』と『音楽性』

皆様からのFacebook上での沢山の良いねクリック、ありがとうございます‼︎

 

既に緊張と重圧で記事を書けなくなっております。ここでやめてしまえばいつもの私なので、歌同様、理屈ぽくはなるかと思いますが、なるべくどんな方が読んでも分かり易い文章を書いていけるよう努力していきます。温かい目で見守って下さい。

 

さて、今日は音楽性というものについて考える1日を過ごしております。

 

『音楽性』というと皆様はどんなことを想像されますか?

 

意外と答えにくいというか言葉では表しにくいものではないですか?

インターネットで音楽性とは何かと調べたところ、やはり色々な見方があるようです。

 

かく言う私も、この音楽性について未だはっきりとは応えられません。。。

ただし、一つだけ、これは声楽を勉強している方や、歌手を志している方は

勘違いし易いことであるのですが、

『心、歌心』があるということと『音楽性』があるということは別物だというのことは強く思います。

 

前者には表したいという意欲のエネルギーはありますが、そこに技術能力はあまり関係がないように思います。どちらかというと歌詞感情をそのまま表した、つまり型というかルールがないのです。

しかし、後者は自分が楽譜や詩から感じたメッセージやイメージや時間の経過や感情の動きをどのような響きで表すのかを、自分の知っている響きの種類から選ぶ必要があります。響きの生み出し方についても、それぞれの音楽の特徴や美しさや感動を引き起こし易い感覚が関係してきます。

(音ではなく響きと書いた理由については、音を操るのは既に作曲家がやっている作業なので、あえて響きという書き方を私はしました。響きについては専門的に答えることは省略させて頂きますが、私が出来る限りの身近な表現をするなら、言霊の核が皆様が生み出した音、振動音で、周りの炎のようなモヤモヤが共鳴音、つまり響きというイメージです、余計分かりにくくなったらごめんなさい。)

 

『心』でも例外はあります。その音楽の特徴や美しさや感動を引き起こし易い響きを、何も考えなくても意識せず習得しなくとも生み出せる人もいるからです。

しかし、無意識という点が脆いところでもあります。つまり応用することや、より鮮明にしていくことが難しいことと、精神や身体や脳の変化と自分の感覚の誤差を埋められなくなるからです。

 

『音楽性』にも勿論『心』はあります。

むしろこれがないと、何を元に響きを選べば良いかわかりません。

重要なのは、その『心』が『叫びや訴え』ではなく、『語る』ように相手の心に鮮明に届けられているかということです。人によっては、聴き手の心に響きで『描ける』かとも言われます。つまり責任を最後まで持っているということです。

そうすれば時々『丸裸な心』を出したとしてもちょっとしたエッセンスになると思います。

 

これは技術にもかなり関係してきますし、日本の建物の響きなどに慣れている耳をもつ日本人には見つけにくく、繊細な筋バランスから成り立つもので、意識していても変わっていってしまうこともあります。(だからといって日本人には無理だとは思いません。むしろ理解して出来れば強みになると私は思います。)

 

皆様の好きな歌手や演奏家がどんな響きで『心』を描いているか、どのような響きに一度しかない人生をかけているか感じて頂けたら、演奏家達にとってこの上のない幸せなことだと思います。

 

私は『丸裸な叫びや訴え』という攻撃ではなく、響きを用いた『心』を表せる音楽になるよう音楽性を高めていきたいと思った1日でした。

 

 

写真はシチリアのMotta(モッタ)という街の教会でクリスマスコンサートに出演し、ソロを歌わせてもらった時のものです。山の上にある小さな街ですが、とても愛くるしい雰囲気が漂うところです。

あの名テノール歌手のGiuseppe di Stefano(1921年〜2008年 享年86年)が生まれた地で、この教会にもミラノへ行くまで通っていたそうです。

 

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

宮脇 臣